自傷行為というものについて最近考察しています。
これはあくまで私のケースで他の人にも当てはまるとは言えません。
そこら辺を踏まえた上で読んで頂けると幸いです。
何故、自傷行為をするのか。
結論から申し上げますと、どうにもならない苛立ちを発散させる為です。
その苛立ちとは、他人に対するもの自分に対するもの世の中社会に対するものと色々内訳はあるのですが、他者との関係におけるものが一番ウエイトが大きいかな、と。
まぁ、今は母親メインなんですけどね。
簡単に自分の生育環境というか子供の頃から今までのことを。
私は幼稚園は私立名門小学校を目指す子供が遠方からも集まる割りと有名なところに通っていました。
私はお受験とかなかったし、単に近いからという理由だけだったんですけどねw
当時1990年頃。まだ子供に人権がなかった頃(今もあるとは言えないでしょうが)、体罰が正当化されていた頃。
まぁ、幼稚園は酷かったですね。今なら確実に問題になるレベル。
具体的には・・・思い出したくもないです。
少なくとも年少児を懲罰目的で書庫に閉じ込めるのは狂気の沙汰だろwww
教育は「みんな同じであれ」。
お絵描きの手順も決まっていました。
空の位置、太陽の位置、人間の配置、地面の位置、これらは全て統一化されていて、それに反して描くと怒られるのです。
個性もクソもあったもんじゃねぇwww
そんな環境の中で怒られずに平和に過ごす為には、自分を殺して大人の言うとおりにしていなければならなかったのです。
自分を殺していればそこそこ平和になるなら安いもんでしょ。
幼稚園という集団生活の初っ端がこんなのだったので、高校卒業まで学校で個性なんて出せませんでしたよ。
高校までの教育は「みんな同じであれ」ですからね。ちょっとでもはみ出せば叩かれる糞狭い世界ですからね。
そこで生じた溜まりに溜まった鬱憤を晴らす術が高校の時に始まったリスカアムカだったのではないかと。
リストカットという行為を知って実践するようになったのが高校生の時。それから大学2年(20歳)ぐらいまで続きました。その後暫くはODにシフトしたのですが。
それらが今自然に治まっているのは溜まり続けていた鬱憤を一通り晴らしきったからじゃないかと思います。
家庭でのこと。
ハッキリ言って母親は怒るとヒステリックになります。怒鳴り散らしてどうにもなりません。
黙って嵐が過ぎ去るのを待つしか私には為す術がありませんでした。それは現在進行形です。
ヒスる→イラッとくるから言い返す→更にヒスる、という悪循環は経験的にというか普通に考えて分かるので、気がついたらひたすら耐えるようになっていました。
そんな耐える生活、どこかでそのストレスを発散させないとやってられませんよね。
でも学校とかは上記のサマだし。家にも学校にもストレスを吐き出す場がない。
だからモノに当たったり八つ当たりの激しい子供でした。ストレスを感じてもそれをストレートに吐き出すことが出来ないので、歪んだ形で出てきました。
幼少期は母親に怒鳴られた後、オモチャを壊したりしたっけ。それやっちゃうと後で更に酷い目に遭うのであまりやりませんでしたが。
小学生のころは大人の目の届かないところで色々悪事働いていました。
よく野良猫虐待していました。石投げつけたりとかね。ああ、猫さんあのときはごめんなさい。
何故異常なほど自分を粗末に扱うのか。
これは簡単です。
例えば、100円ショップで買った何の変哲もないどうでもいい皿を壁に投げつけてストレス発散したとしましょう。
皿を投げつけた結果、その皿が粉々に砕け散ろうが真っ二つに割れようがヒビが入ろうが全く無傷だろうが、結果はどうでもいいのではないですか。
投げつけるという行為に重きが置かれているワケで、その結果は二の次ではないでしょうか。
それと同じです。自分を傷つけるという行為がメインなワケでその結果起きることは正直どうでもいいのです。
それが、自分なんてどうなってもいい、に繋がるんです。
ではその皿が高級ブランド品だったらどうしますか?投げつけたりしないでしょう?
しかし、それを自分に置き換えた場合。
上で述べた通り自尊心が無かったら自分を否定するのが癖になっていたら、自分ってのはブランド品ではありません。高級品でもありません。
そこら辺にあるどうでもいい皿と同じです。
とりあえず、周りの環境のせいにするとこんな感じです。
勿論他にも勉強とか強迫観念とか自身の問題もあるのですが。
ああ・・・とか、それなとか、なるほどとか、ちゃうねんとか、アホかこいつとか、何か電波を受信しましたらポチッと→
そういえば、総論ってことは各論もあるのか?
そのうち気が向いたら各論も書くかな?あまり期待しないで下さい・・・。
それでは。
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